故郷と京都で育まれた「心豊かに暮らせる社会を未来へ残したい」という想いが「Edonomy(エドノミー ®)」へと繋がった
「文化ビジネスコーディネートとは?」「Edonomy(エドノミー ®)とは?」
昨今、そうしたご質問をいただくことが多くなってまいりました。
そこで、COS KYOTOの業務及び展望をより多くの方にご理解いただき、「心豊かに暮らせる社会を未来に残す」活動を共に広げていくパートナーをどんどん増やしていきたいことから、当社代表である北林にインタビューを行いました。
――まずは、これまでのキャリアと展望を教えてください
小学生時代から、環境問題に対する関心が高かったほうだと思います。僕は生まれが奈良県で、田んぼに囲まれた自然豊かな地域で育ちました。家の目の前に小川が流れていたのですが、それがドブ川に変わり、自然が失われていく様子を肌で感じてきました。幼心に「これをどうにかしたい!」と思ったものの、中学・高校で理系が不得意だということに気づきまして(笑)、文系のキャリアでできることを考え、大学は法学部で政治行政を専攻しました。
大学時代には国の派遣事業に参加し、環境行政や教育で先進的な取り組みをしているフィンランドに行かせていただきました。政治家や環境NPO、教育省などの方々に会い、現場も訪問して、環境問題への取り組みを直接伺いました。森や湖など自然を楽しむ権利が保証されていて、子供の頃から家族で自然の中で過ごす時間を大切にする中から自然と共生する心が育まれていると感じました。
また、現地では小学校の校長先生のお宅にホームステイさせてもらいました。「世界に通用する英語力や技術力などを身につけることが大事。それに加えてフィンランドの歴史や文化、アイデンティティを身に着けてこそ一流の国際人になれるんだ」と校長先生が仰っていたのが忘れられません。良き心を持ち、自分の軸を持つ人を育てることの重要さを感じました。フィンランドでの経験が今につながっている原点であると感じています。
――同志社大学大学院ビジネス研究科では「伝統産業グローバル革新塾」にも参加をされたそうですね?
エネルギーが環境に大きな影響力を持つと考え、大阪ガス株式会社に入社しました。配属された京都で、コージェネレーションシステムなどの省エネ設備営業などをしている中で、効率的な省エネ設備を導入しても点けっぱなしにしている現場があるのを見て、環境問題を始めとする世の中の問題の原因は「人」にあると気づきました。そこで株式会社グロービスの人材育成コンサルタントに転職し、金融関係の企業の人材育成を担当しました。その中でリーマン・ショックが起こり、「人は欲を追いかける」ということを目の当たりにしショックを受けました。そこで人が楽しいと感じることと環境問題の改善を両立させるために、日本の豊かな地域の自然に育まれ、人の心を豊かにする地域の文化、そしてそれが具現化した工芸品を始めとするものづくりを通じて日本の持続・循環する文化をビジネスとして広げていくことがポイントではないかと考えました。そこで2009年当時「文化 ビジネス」と検索して出てきたのが恩師である村山教授、そして村山教授が主宰する「伝統産業グローバル革新塾」だったのです。
――大学院および「伝統産業グローバル革新塾」ではどのような研究をされたのでしょうか?
まずは経営学ですね。グロービス時代にかなり学んでいたとは言え、不十分さを自覚していましたので、イチから勉強し直しました。断片的な理解だったものがきちんと整理して学び直せたのは大きかったです。特にリーマン・ショックを目の当たりにしていたので金融や経済分野についても学び直し、「人が欲を追い求める中で歴史は形を変えて繰り返している」ということも改めて確認できました。熱心に学んでいたせいか、金融・投資関係への就職も薦められました(笑)。
そして村山教授のゼミで「文化ビジネス」についての研究を行いました。「文化ビジネス」は、「地域の風土の中で人々が関わり合う中で育まれてきた独自の文化の価値を軸とした自律・循環・継続する仕組み」と定義しています。地場産業がどのようにすれば「文化ビジネス」となり、明るい未来に繋げていけるかを考え続けました。
しかし、奈良で生まれ育ち、大阪ガス時代に京都で5年間働いていたとは言え、工芸や地場産業業界の状況、職人や流通構造、歴史や文化などのことは全然知りませんでした。身近過ぎて気づいていなかった部分も大きいと思います。そこで、京都を中心に日本各地の色んな作り手の方々にお会いして周りました。地場産業の背景にある歴史・文化を探るために地域の博物館なども訪ね、様々な統計情報や文献も調べて実態を把握していきました。想像以上に危機的な状況にあるということが分かり、既存の地域や組織、街のあるべき方向性も含めて根本的に考え直していく必要性を感じました。村山教授からは「クリエイティブ都市」の考え方を教えていただき、高度な技術や高い能力の人だけでなく「寛容さ」、つまり多様な人たちが交流し合あうコミュニティの重要性を学びました。
これらの研究の結果、中間的な「ハブ」となる存在が多種多様な人を領域横断で繋ぎ、ビジネスが成立するようにコーディネートしていくことが必要であるという結論に至りました。
――修了後にまさに「文化ビジネスコーディネート」を具現化するためにCOS KYOTOを立ち上げられたわけですが、どんな業務から始められたのでしょうか?
地場産業にはまだ世の中には知られていない、とても素晴らしい素材や技術があることが分かりましたので、それらを持つ職人、そしてデザイナーの感性をコーディネートすることで、これまでにない魅力的な商品シリーズで構成されるライフスタイルを提案しようとしました。これにより、地場産業の新しい可能性を示し、それらを販売するビジネスモデルを考えたんですね。西陣織の引箔を用いた美しい照明「十六夜−izayoi−」(OMOTENASHI Selection2014金賞)、多治見焼のタイル技術を用いた箸置「CONTE」(JCDプロダクト・オブ・ザ・イヤー in Chubu“タイル編”銀賞)、肥前吉田焼の新しい色の食器などを開発しました。様々なところで評価もいただいたのですが、すぐに課題にぶち当たりました。商品を新たに作るにはとても時間と費用がかかるんですね。さらに商品を販売していくためには営業やプロモーション・ブランディング、そして顧客対応などに膨大な時間と費用がかかる。それが予想以上のものとなり、立ち上がったばかりのCOS KYOTOには無理でした。僕自身のキャリアや能力でもBtoC分野の経験もなかったため、早々に方向性の転換を迫られたのです。
――2013年に米国オレゴン州ポートランド市を視察したのはどうしてですか?
暗中模索の中で、大学院時代に学んでいた創造的な街の例としてポートランドがたびたび取り上げられていたのですが、当時は全く知られていませんでした。日本国内でのビジネスの展開が行き詰まっていたこともあり、何かヒントが得られるのではと賭けに近い形でポートランドを訪問しました。そこで「KIRIKO」というアパレルブランドを展開され始めていたKatsu Tanakaさんと出会いました。日本の絣や藍染生地などを用いてアメリカの市場で受け入れられやすい商品を作って人気になっていました。商品には「Material by Japan, Made in Portland」という記載があり「これだ!」と思ったんですね。国内はもとより、海外も使い手と直接接している存在が最も使い手のことを分かっています。そういった方々と交流し、必要としている「素材」や「技術」、そして背景にある文化やストーリーを紹介するコーディネートはできるのではと考えて、「MoonShine Materials」として素材・技術をコーディネートする事業を開始しました。
ポートランドでは、もう一つ大きな学びがありました。それが2014年に再度ポートランドを訪問したときに巡った「DESIGN WEEK PORTLAND」です。
工場や工房、大学や研究所、ショップやカフェ、デザイナーのオフィスやアーティストのアトリエなど様々な場所がオープンし、自分たちの取り組みや思いを伝え、交流しているのです。当初は販売を目的としたデザイン展示会かと思っていたのですが、全く違いました。この場で出会った人たちが交流を重ね、一緒にプロジェクトを始めたりといったことがたくさん発生していました。このオープンな交流と寛容性がポートランドの創造性を支えていたのです。帰りの飛行機の中で、「こういう場こそ、京都に必要だ!」と強く決意したんですね。
――2016年に「DESIGN WEEK KYOTO」を始められたわけですが、PORTLANDのシステムを取り入れた点と、PORTLANDとは異なる点はなんでしょうか?
最も影響を受けて取り入れた考え方は「オープンな交流と寛容性」ですね。
新しいモノ・コトが生まれるきっかけは、「出会い」にほかなりません。出会いが多岐に渡れば、創造力が広がります。創造力はビジネスのみならず人生を豊かにしていくためにもとても大事です。創造力のある人になるためには、知識を豊富に持っているだけではなく、分野に関係なく様々なモノやコトに興味を持ち、行動する習慣が大事であると言われています。また、人と人が気軽に出会う機会が多ければ多いほど、新たな関心や発見が生まれ、それが創造力やコラボレーションへと繋がっていきます。そうしたことから、京都の多種多様なモノづくりの担い手同士、また、現場を訪れる人々との出会いと交流を目的として、「DESIGN WEEK KYOTO」を2016年にスタートさせました。
大学や研究機関、デザインオフィスやレストラン、アーティストのアトリエなども含めて街中のあらゆるところがオープンになって交流する「DESIGN WEEK PORTLAND」との大きな違いは、まずは「工芸・町工場」を中心に据えたことですね。将来的には同じように京都の多彩な創造の場がオープンし、国内外の人が交流する場に育てていきたいです。
――そして今年は「DESIGN WEEK TANGO」を実施されました。こちらでは新たな発見などはありましたか?
丹後ではまずモノづくりの歴史の長さと世界的に見ても全てが高い水準にあること、そしてその可能性を再認識しました。丹後のみなさんが丹後という地域を心から愛し、前向きに努力されていることも実感しました。また、丹後では自社の特徴を把握し、深堀りするワークショップを開催したことにより、これまで気づかなかった自社の長所や特徴を再認識したり、ルーツを調べ直したという声もいただいています。
織物・機械金属・農場という丹後の風土が培ったモノづくりの人たちが丹後内でも業種を越えて交流し、京都や他の地域の方とも交流を重ねていく中で、次の丹後に繋がるきっかけの場にしていくためにも2回、3回…と継続して開催できるようにがんばります。
――一方では、新たにEdonomy(エドノミー ®)がスタートしました。こちらではどんな展開をお考えですか?
これまでの地場産業に関する仕事をしている中で、日本の地場産業や文化が成熟していった時代が江戸時代であると分かりました。1700年代初頭まで日本はずっと人口が徐々に増えていたのですが、そこから3300万人程度で伸びが止まっているんですね。当時は鎖国していましたから、食料も資源も日本国内で賄わないといけない。つまり日本国内だけでまかなえるのが3300万人ということが言えます。そこで資源をとにかく最後まで使い切り、最後は肥料などにして廃棄物を出さないという仕組みが成立していました。その中で人々が支え合い、社会が成立していました。つまり、「自律・循環・継続する心豊かな社会」のヒントは身近にたくさんあるのです。そこでそういった江戸時代の仕組みから学ぶということで「Edo+Economy=Edonomy(エドノミー ®)と名付け、江戸時代の人々の知恵や工夫、また地域で受け継がれてきた技術を学び現代に活かしていくというプロジェクトを立ち上げました。具体的にはセミナーやツアー、ワークショップ、展示会などを実施することで概念を広め、そこから新しいモノやコトが生まれてくることが楽しみです。
大量消費社会の発展により、使い捨てがもてはやされ、結果、大気汚染、資源の枯渇など、環境問題に直面してしまいました。
こうした現状から、私たちは江戸期の人々の知恵や工夫を学び、自然のメカニズムのもと、最新技術を融合させていくことが地球規模の危機を回避するひとつの手段であると私たちは考えています。
現代に生きる私たちはもとより、次世代の子どもたちのため、地球の未来のための学びの場としてEdonomy(エドノミー ®)プロジェクトをご活用いただければ幸いです。