2023年10月30日〜31日、一般社団法人サステナブル・ビジネス・ハブが主催する、株式会社浜田(以下「浜田」)に向けた社内プログラムの一環として、「次世代パーパス育成ラーニングツアー」を実施しました。COS KYOTO株式会社では、「京都・亀岡」を舞台とした2日間のプログラムを企画・運営し、コーディネーターとして代表の北林 功がアテンドしました。 本記事では、1日目のプログラムの様子をお届けします。 次世代パーパス育成ラーニングツアーについて 本ツアーは、環境ソリューションカンパニーである浜田の社員が中期経営計画を立案する上で、5年・10年というスパンではなく、あえて50年先を見据えたパーパス(志・企業の価値・社会的意義)を踏まえて立案するためのサステナブルの知恵や考え方などを、地域の現場での体感・交流を通じて学ぶことを目的に実施しました。今回のツアーは、1000年以上もの歴史が続く「京都・亀岡」の現場を訪れ、担い手との交流などを通じて考える機会を持ちました。
Day1:自然の恵みと循環 人と自然、共生のあり方を考える
■出雲大神宮 「自然に感謝する」
ツアー1日目。JR亀岡駅からバスに乗り込み、保津(ほづ)というエリアにある、「出雲大神宮(いずもだいじんぐう)」へ。亀岡はかつて湖が広がっていたと言われ、開拓が進んだ後も丹波地域の物流の要でした。保津エリアは地名に”津”とあるように川港として栄えていました。そんな歴史を感じさせる石垣が並ぶ段々畑や集落を抜けて、バスは出雲大神宮へ到着。
出雲大神宮は709年に創建されたとされる丹波国の一之宮。「元出雲(もといずも)」とも呼ばれています。こちらの神社は本殿の裏にそびえ立つ御陰山(みかげやま)が御神体であり、古代の信仰の形を残しています。この御蔭山の伏流水が境内に湧き出ており、「真名井(まない)の水」として親しまれています。
出雲大神宮では毎月、この湧き出る大地の恵みに感謝を捧げる「真名井の水感謝祭」が斎行され、本殿の裏手には、御神体とそこから湧き出る水を守るように、磐座(いわくら)が鎮座しています。
暮らしに欠かせない貴重な資源である水。特に昔の人々にとっては、飲み水や生活用水のみならず、稲作や農耕、物資の運搬、そして交通手段としても、水は切っても切れない大変貴重な存在であり、だからこそこのような形で信仰されてきたということを感じとることができる地です。
「水道の蛇口をひねると、清潔な水をいつでもいくらでも得ることができる現代に生きる私たちは、それが当たり前になっていて、どれだけありがたいことであるかを忘れてしまっていませんか」
というコーディネーターの北林からの問いかけに、参加者の皆さんははたと気付かされました。
■京すだれ川崎 「使い続けるために、作り続ける」
続いて向かったのは、千代川(ちよかわ)という地域に工房を構える「京すだれ川崎」。すだれや、社寺仏閣等で使われる御簾(みす)をつくっている会社です。川崎さんのこだわりは「使い続けるために、作る」をモットーにした、国産の素材を使った丁寧なものづくり。
すだれづくりに適した品質の良い葭(よし)は、琵琶湖の円山(まるやま)地区で採れます。昔は円山地域にはたくさんの葭農家がありましたが、住環境の変化や海外からの安価な商品に押され、需要が激減。今では数軒のみとなってしまいました。
良質な葭を育てるには、育った葭を12-3月にすべて刈り取り、3月頃に野焼きを行います。野焼きすることで害虫などがいなくなり、燃え残った灰が養分となって生えてきた新芽がすくすくと成長するのです。8月ごろには3-4mほどの高さにまで成長、そしてまた12-3月に刈り取りを行うという流れです。刈り取られたものは乾燥や選別を経て、すだれや葭葺屋根、紙の原料などに使われていきます。
実はこの葭を育てるサイクルが、琵琶湖の水の浄化にも深く関係しています。葭が育つ際、水中に含まれる窒素やリンなどの不純物を吸い上げ、水を浄化してくれるのです。このサイクルが止まれば、良質の葭が育たないだけでなく、琵琶湖の水も汚れてしまうというわけです。葭を使う需要がなければ、農家さんは生産を止めざるをえなくなってしまう。だからこそ、川崎さんは琵琶湖の葭を使い続けることにこだわりを持って、すだれづくりをされています。
使い手である私たちが川崎さんのすだれを選べば、作り手の川崎さんや素材を育てる葭農家さんが作り続けることができ、そして琵琶湖が美しくなり、きれいな水を飲み続けられる。何年か使い込んで古くなってきたら、川崎さんたちが修理して、また使う。こうやって1年で育つ葭を使って100年も使い続けることができます。そして役目を終えたすだれは土に還る。こんなにも素晴らしい循環が成り立つものづくりの形があるのか、ということに一同は、感動を覚えました。
これで午前中のプログラムは終了。亀岡の地元食材で腹ごしらえをして午後からのプログラムに備えます。
■保津川下り 「自然との向き合い方を考える」
ツアー1日目の午後は、亀岡から京都嵐山の渡月橋、さらには大阪へと流れていく保津川でのフィールドワーク。まずは保津峡の入り口を訪れ、コーディネーターの北林より保津川の歴史や概要をインプット。
保津川の歴史は古く、出雲地方から来た神様が、もともと湖であったこの地域を開拓するために、山峡を開削したという神話が語り継がれており、渓谷の入り口にはその神話に由緒のある、桑田(くわた)神社・請田(うけた)神社が川を挟むように鎮座しています。
今から1200年前には既に水運としての役割を担っていました。当時は丹波山地で切り出された木材を京都へ運ぶ筏(いかだ)が主流でしたが、1606年嵯峨の豪商であった角倉了以が、舟を流せるようにして、さらに多くの食料や物資なども運べるようにするため、私財を投じて川幅を広げる開削工事を行い、今の舟運路ができあがりました。1899年には亀岡出身の田中源太郎が、同じく私財を投じ、京都鉄道が開通。保津川は物資を運ぶ役目を終え、その後、観光船として「保津川下り」が運航されるようになりました。
保津川についての基本的なインプットが終わったら、実際に「保津川下り」を体験するため船乗り場へ。今回は特別に、保津川遊船企業組合の理事長、豊田知八さんに講師として同乗いただきました。
まず驚かされるのは、船は3名の船頭さんの人力のみで運行されるということ。電力は一切使いません。亀岡から嵐山までの運航路・船を動かすための道具・船頭さんの技術やノウハウは、1606年以来、400年以上もの間、ほぼ変わることなく先輩船頭から後輩船頭へと受け継がれ続けています。
一方で、自然の川は日々変化し続けています。雨がしばらく降らなければ川の水嵩は減り、ひとたび大雨が降れば濁流にもなります。船に乗り込むお客さんの数によっても船全体の重さが変わり、船の流れ方が変わります。そのため船頭さんたちは毎日朝一番に川を下り、その日の川のコンディションを確認し、船の流し方を見極めます。日照りが続いて川の流れが穏やかになりすぎている場合は堤防を作って流れを作り出すこともあります。そんな風に、船頭さんたちは日々自然と向き合い対話しながら、技術と感覚を磨き、川下りを継承しているのです。
一度人間が自然に手を入れたなら、その後は常に手を入れ続ける覚悟を持って共存していく必要があるということを目の当たりにしました。そして、実際に船を操縦してくださった3名の船頭さんからは、その覚悟と誇りをビシビシと感じました。
2023年3月、保津川下りで転覆事故が起き、2名の船頭さんが亡くなりました。川下りは一時運行取りやめとなり、理事長の豊田さんの脳裏にも「廃業」の文字が浮かんだそうです。しかし1200年もの歴史あるこの川で、先人たちから400年以上も継承され続けてきた川下りを今ここで絶やしてしまってよいのだろうかと考えに考えを重ね、たとえ自分がどうなろうとも、保津川下りをなんとしても続けたい、続けなければという結論に至り、覚悟を決めてその後の対応に臨んだのだ、とお話くださいました。
豊田さんのその想いや、船頭さんたちの仕事に対する誇りに触れ、パーパスとは何か、仕事の意義とは何か、リーダーの覚悟とは、などを同じリーダーの立場である参加者の皆さんは改めて考えさせられました。
最後に、この日学んだこと・活かしていきたいことを参加者が一人ひとり言語化して振り返るワークショップを行い、学びと気づきに溢れる1日が終了しました。